佐久間信盛の追放

織田信長の時代

開始日 1580年10月03日
説明

天正8年(1580年)、信長は重臣の佐久間信盛と子の信栄を高野山方面へ追放した。信盛は長年にわたり大軍を預かり、石山本願寺攻めの責任者を務めていたが、信長は十九か条の折檻状で働きが不十分だったことなどを厳しく責めた。

譜代の筆頭級家臣であっても地位を保障されず、軍事・行政上の成果を継続して求められたことを示す。同じ時期には林秀貞らも追放されており、信長政権が家臣団を再編し、方面軍を軸とする支配体制を強化する過程として重要である。