織田信勝の殺害

織田信長の時代

開始日 1557年11月22日
説明

稲生の戦い後に赦免された信長の弟・信勝は、再び反抗を企てたとされ、弘治3年(1557年)に清洲城へ誘い出されて殺害された。信勝、信行、達成など名の表記には史料による異同がある。

『信長公記』では柴田勝家が信勝の企てを信長へ知らせたとする。この事件によって同母弟を中心とする家督争いは収束し、信長は有力家臣を自らのもとへ再編していった。戦国期の家督相続が、血縁だけでなく家臣の支持と軍事力で決したことを示す。